49日目 7/2 標津町~弟子屈町
早朝に目が覚めたら、やっぱりベッドのかけぶとんの上・枕が無い方に頭を向けて寝ていた。せっかく2日連続でまともな寝床に恵まれたのに、勿体ない。気休めだが、きちんと布団に入って二度寝した。
Kさんが虹別という所にあるキャンプ場で、人と待ち合わせているというので、私も着いて行く。
私のここまでの北海道旅は、概ね海沿いを来ていたが、今日から内陸に入ることになる。虹別の後は、阿寒湖を抜けて、ナイタイ高原と帯広を目指す。野付半島でホッカイシマエビを食べたかったが、諦めた。
標津町を南下し、途中で西へ進路を変える。進路を変える手前のセイコーマートで休憩を取ろうとしたその時!セイコーマートの駐車場に、見覚えのある姿が。湧別町のSLと網走の呼人浦で一緒だったSさんだ。
『Sさーん!』
「おお!」
思わぬところで再会。Sさんは呼人浦を出た後に風邪をこじらせ、斜里町の温泉付きライダーハウスに二泊したらしい。これから野付半島へ向かうとのことだ。
標津町の西隣は中標津町。かつて、私の大学の友人であるURA君が卒業後仕事で住んでいた時期があり、私は仕事の休暇を利用して彼の家を訪ねたことがある。あれは2007年だったから、今回は3年ぶりの中標津訪問ということになる。 3年前に来た時は、「何でこんな田舎に空港があるんだ」と思ったが(羽田からの直行便も飛んでいる中標津空港がある)、この旅では商店が無い田舎町も多数通ってきたので、今回は「都会だなぁ」と思った。中標津には、だだっ広いショッピングセンターもホームセンターもコンビニもあるのだ。こりゃ、道東ではかなりの都会だ。
そのショッピングセンターで昼食と買い物を済ませ、虹別への進行を再開。道の周りには牧草地と畑しかない。そして、アップダウンだらけ。よくある楽しくない道だ。
走りながら、荷台の荷物が気になり、荷台の方を振り返って左腕を荷台へ伸ばしたらバランスを崩し、チャリンコが左を向いた。道路の左は畑で、畑と道路の間に、雑草の生い茂った水路のような溝がある。「あ~、あ~、あ~、あ~」という感じで、そちらにバサバサと音を立てながら自転車もろとも墜落した。幸い水は溜まっていなかったが、一番深い所に落ちてしまった。道路は私の頭の上にある。
ひとまず自分だけ道路に出て、先を行くKさんを「Kさーん!」と呼んだが、声は届かなかった。一人で何とかするしかない。
荷物が重い上に、雑草がギアに絡まって、チャリンコを押してもなかなか進まない。傾斜がきつい…。それでも、道路を行き交う車に見られるのを恥ずかしがって、頭を引っ込めるくらいの心の余裕はあった。
私は元々力仕事にはてんで弱いので、まさしく全身全霊を込めて上げた。知床峠を登った時より気合いを入れたかな。
やっと上がったと思ったら、今度はスピードメーターがない。これがないと、今までの走行距離と、これからの走行距離をはかれない。これは痛い。こちらも必死になって草の中を探したら見つかった。
キャンプ場にはKさんが待ち合わせていた高知県出身の50代ライダーお二人が先に着いていた。Kさんとお二人は去年北海道旅行で知り合ったそうだ。
高知県のお二人はホッカイシマエビを買っていて、かなりおすそわけを頂いた。旨かった。ありがたや~
土佐弁講座。「ぜよ」は使わないらしい。
Kさんが虹別という所にあるキャンプ場で、人と待ち合わせているというので、私も着いて行く。
私のここまでの北海道旅は、概ね海沿いを来ていたが、今日から内陸に入ることになる。虹別の後は、阿寒湖を抜けて、ナイタイ高原と帯広を目指す。野付半島でホッカイシマエビを食べたかったが、諦めた。
標津町を南下し、途中で西へ進路を変える。進路を変える手前のセイコーマートで休憩を取ろうとしたその時!セイコーマートの駐車場に、見覚えのある姿が。湧別町のSLと網走の呼人浦で一緒だったSさんだ。
『Sさーん!』
「おお!」
思わぬところで再会。Sさんは呼人浦を出た後に風邪をこじらせ、斜里町の温泉付きライダーハウスに二泊したらしい。これから野付半島へ向かうとのことだ。
標津町の西隣は中標津町。かつて、私の大学の友人であるURA君が卒業後仕事で住んでいた時期があり、私は仕事の休暇を利用して彼の家を訪ねたことがある。あれは2007年だったから、今回は3年ぶりの中標津訪問ということになる。 3年前に来た時は、「何でこんな田舎に空港があるんだ」と思ったが(羽田からの直行便も飛んでいる中標津空港がある)、この旅では商店が無い田舎町も多数通ってきたので、今回は「都会だなぁ」と思った。中標津には、だだっ広いショッピングセンターもホームセンターもコンビニもあるのだ。こりゃ、道東ではかなりの都会だ。
そのショッピングセンターで昼食と買い物を済ませ、虹別への進行を再開。道の周りには牧草地と畑しかない。そして、アップダウンだらけ。よくある楽しくない道だ。
走りながら、荷台の荷物が気になり、荷台の方を振り返って左腕を荷台へ伸ばしたらバランスを崩し、チャリンコが左を向いた。道路の左は畑で、畑と道路の間に、雑草の生い茂った水路のような溝がある。「あ~、あ~、あ~、あ~」という感じで、そちらにバサバサと音を立てながら自転車もろとも墜落した。幸い水は溜まっていなかったが、一番深い所に落ちてしまった。道路は私の頭の上にある。
ひとまず自分だけ道路に出て、先を行くKさんを「Kさーん!」と呼んだが、声は届かなかった。一人で何とかするしかない。
荷物が重い上に、雑草がギアに絡まって、チャリンコを押してもなかなか進まない。傾斜がきつい…。それでも、道路を行き交う車に見られるのを恥ずかしがって、頭を引っ込めるくらいの心の余裕はあった。
私は元々力仕事にはてんで弱いので、まさしく全身全霊を込めて上げた。知床峠を登った時より気合いを入れたかな。
やっと上がったと思ったら、今度はスピードメーターがない。これがないと、今までの走行距離と、これからの走行距離をはかれない。これは痛い。こちらも必死になって草の中を探したら見つかった。
キャンプ場にはKさんが待ち合わせていた高知県出身の50代ライダーお二人が先に着いていた。Kさんとお二人は去年北海道旅行で知り合ったそうだ。
高知県のお二人はホッカイシマエビを買っていて、かなりおすそわけを頂いた。旨かった。ありがたや~
土佐弁講座。「ぜよ」は使わないらしい。
48日目 7/1 網走市~標津町
早朝目が覚めたら、歯ブラシが畳の上に転がっていた。寝てる間に歯磨きの唾飲んじゃったんだ…ばっちい。
昨晩食べ過ぎたので、朝ご飯は一膳しか食べなかった。
宿代は、KさんとNさんが私の分を出して下さった。申し訳ない。昨日今日の仲なのに、ありがとうございます。
知床峠への道と、ウトロへの道の分岐点である知床五湖センターまで、宿の人に車で送ってもらった。宿から結構な登り坂があるのだ。チャリダーとしては、ズルだ!
五湖センターに着いても、峠を越えるか否か、まだ決められない…。センターの人に峠と峠の向こうの様子を聞くと、峠は霧で何も見えず、峠の向こうの羅臼町は曇り、峠の道は熊が横断することがあるのでチャリンコのベルを鳴らして下さいとのこと。
悩んだが、この峠を迂回したら、旅を終えた後に悔いが残りそうな気がしたので、越えることにした。峠を越えれば熊の湯がある。
五湖センターの前でたむろしていると、あの女性チャリダーも下からやって来た。彼女はズルをせずにウトロからここまで登って来た。『僕らは男がすたることをしてここまで来たんだよ』と言っておいた。彼女は五湖センターへ入っていった。
私と同じく、知床峠を越えるか迷っていたKさんも越えることにした。今日東京に帰らなければならないNさんと別れ、いざ出発。
五湖センターから頂上までは、11kmの道のりらしい。詳しくはわからんが、600m以上登らなければならない。そんな登りは初めてだ。
当たり前だが、いきなり坂道だ。先は長い。体力を温存しながらゆっくり登る。熊が恐いので、忘れずにベルを鳴らす。
登り始めて間もなく、雨が降ってきた。不精こいて雨具を出さなかったので、荷物が濡れる…。
1km毎に休憩することにした。坂道なので自転車を停めて離れることは出来ないが、立ち止まるだけでも、漕ぎ続けるよりはかなり体力の消耗を抑えられる。それに、1kmずつ残りの距離が減っているのを実感出来る。
峠を登っていると、ナルシシズムとマゾヒズムを足して2で割った様な感覚を得た。疲れるが、頑張っていることに対する心地よさがある。なるほど、苦しみながら肉体を鍛える人の気持ちがわかった気がする。これは楽しい。
凄い逆風と本降りの雨に見舞われ、時速6kmを切る部分もあったが、自転車を押さずに漕いで登り切った。3時間くらいかかるかと思ったが、1時間半くらいで済んだ。
体も荷物もびしょぬれだ。非常に寒い。トイレの小屋に逃げ込んだ。Tシャツを脱ぎ、長袖のジャージに着替えた。ズボンは仕方ない。
後はひたすら下りだ。麓近くに熊の湯がある。さっさと下りて冷えた体を温めよう。
が、下りの方が登りよりきつい。寒いし、雨なのでスリップが恐いし、雨が顔にばちばち当たって痛いし、ブレーキレバーを常に握っていなければならないが、ブレーキレバーの角度の悪さと寒さで握力が消耗する。
登りでは体力は減ったが、気力は減らなかった。下りでは気力が減る。集中力を切らさないようにしないと事故ってしまうだろう。
30分以上の嫌~な下りを乗り切って、ご褒美の熊の湯に着いた。非常に熱い湯だが、凍えた体がすぐに温まる。地元のおっちゃん達から地元情報を聞くのも楽しい。Kさんと共に「熱い、熱い!」と言いながら、一時間はいたか?素晴らしい露天風呂だった。地元の有志の方々により管理されているらしいが、旅人も無料で利用させて頂けるのは大変有難いことだ。
Kさんが「今日も奢るからモシリバ(羅臼町の南の標津町にある宿)まで一緒に行かない?」と仰るので、着いて行くことにした。 熊の湯というご褒美の後は、早速雨天走行という罰ゲームだ。羅臼町の道の駅で休憩した後、モシリバまでの25kmを一気に行く。余計な事を考えず、もうひたすら漕ぐしかない。
モシリバは、ログハウスで小綺麗な宿だった。宿のご夫婦は、親切に薄汚れた旅人を迎えて下さった。奥さんが煎れてくれた温かいお茶が非常に旨かった。
自転車旅人の安息、風呂と夕飯。今日の様な日には、一段と有難い。夕飯はちゃんちゃん焼きだった。この旅でちゃんちゃん焼きを食べられるなんて、想定外だ。嬉しいね。
更に、ご飯を食べた後に、ご主人が焼酎の流氷割を出して下さった。流氷は少し塩味がして、溶ける際にぷちぷちと空気が出る音が鳴る。面白い物を頂いた。ちゃんちゃん焼きといい、旅の思い出になる。
今日は、ベッドのかけぶとんの上に寝転がりながらブログを書いていたら、眠りに落ちた…
昨晩食べ過ぎたので、朝ご飯は一膳しか食べなかった。
宿代は、KさんとNさんが私の分を出して下さった。申し訳ない。昨日今日の仲なのに、ありがとうございます。
知床峠への道と、ウトロへの道の分岐点である知床五湖センターまで、宿の人に車で送ってもらった。宿から結構な登り坂があるのだ。チャリダーとしては、ズルだ!
五湖センターに着いても、峠を越えるか否か、まだ決められない…。センターの人に峠と峠の向こうの様子を聞くと、峠は霧で何も見えず、峠の向こうの羅臼町は曇り、峠の道は熊が横断することがあるのでチャリンコのベルを鳴らして下さいとのこと。
悩んだが、この峠を迂回したら、旅を終えた後に悔いが残りそうな気がしたので、越えることにした。峠を越えれば熊の湯がある。
五湖センターの前でたむろしていると、あの女性チャリダーも下からやって来た。彼女はズルをせずにウトロからここまで登って来た。『僕らは男がすたることをしてここまで来たんだよ』と言っておいた。彼女は五湖センターへ入っていった。
私と同じく、知床峠を越えるか迷っていたKさんも越えることにした。今日東京に帰らなければならないNさんと別れ、いざ出発。
五湖センターから頂上までは、11kmの道のりらしい。詳しくはわからんが、600m以上登らなければならない。そんな登りは初めてだ。
当たり前だが、いきなり坂道だ。先は長い。体力を温存しながらゆっくり登る。熊が恐いので、忘れずにベルを鳴らす。
登り始めて間もなく、雨が降ってきた。不精こいて雨具を出さなかったので、荷物が濡れる…。
1km毎に休憩することにした。坂道なので自転車を停めて離れることは出来ないが、立ち止まるだけでも、漕ぎ続けるよりはかなり体力の消耗を抑えられる。それに、1kmずつ残りの距離が減っているのを実感出来る。
峠を登っていると、ナルシシズムとマゾヒズムを足して2で割った様な感覚を得た。疲れるが、頑張っていることに対する心地よさがある。なるほど、苦しみながら肉体を鍛える人の気持ちがわかった気がする。これは楽しい。
凄い逆風と本降りの雨に見舞われ、時速6kmを切る部分もあったが、自転車を押さずに漕いで登り切った。3時間くらいかかるかと思ったが、1時間半くらいで済んだ。
体も荷物もびしょぬれだ。非常に寒い。トイレの小屋に逃げ込んだ。Tシャツを脱ぎ、長袖のジャージに着替えた。ズボンは仕方ない。
後はひたすら下りだ。麓近くに熊の湯がある。さっさと下りて冷えた体を温めよう。
が、下りの方が登りよりきつい。寒いし、雨なのでスリップが恐いし、雨が顔にばちばち当たって痛いし、ブレーキレバーを常に握っていなければならないが、ブレーキレバーの角度の悪さと寒さで握力が消耗する。
登りでは体力は減ったが、気力は減らなかった。下りでは気力が減る。集中力を切らさないようにしないと事故ってしまうだろう。
30分以上の嫌~な下りを乗り切って、ご褒美の熊の湯に着いた。非常に熱い湯だが、凍えた体がすぐに温まる。地元のおっちゃん達から地元情報を聞くのも楽しい。Kさんと共に「熱い、熱い!」と言いながら、一時間はいたか?素晴らしい露天風呂だった。地元の有志の方々により管理されているらしいが、旅人も無料で利用させて頂けるのは大変有難いことだ。
Kさんが「今日も奢るからモシリバ(羅臼町の南の標津町にある宿)まで一緒に行かない?」と仰るので、着いて行くことにした。 熊の湯というご褒美の後は、早速雨天走行という罰ゲームだ。羅臼町の道の駅で休憩した後、モシリバまでの25kmを一気に行く。余計な事を考えず、もうひたすら漕ぐしかない。
モシリバは、ログハウスで小綺麗な宿だった。宿のご夫婦は、親切に薄汚れた旅人を迎えて下さった。奥さんが煎れてくれた温かいお茶が非常に旨かった。
自転車旅人の安息、風呂と夕飯。今日の様な日には、一段と有難い。夕飯はちゃんちゃん焼きだった。この旅でちゃんちゃん焼きを食べられるなんて、想定外だ。嬉しいね。
更に、ご飯を食べた後に、ご主人が焼酎の流氷割を出して下さった。流氷は少し塩味がして、溶ける際にぷちぷちと空気が出る音が鳴る。面白い物を頂いた。ちゃんちゃん焼きといい、旅の思い出になる。
今日は、ベッドのかけぶとんの上に寝転がりながらブログを書いていたら、眠りに落ちた…
47日目 6/30 網走市~斜里町
- 2010/07/12 (Mon)
- 旅 II 蝦夷地〜東北太平洋 |
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知床半島に行くかどうか迷いながら旅をしていた。
(以下、地理の説明がわかりづらいので、地図をご覧になりながらお読みになると良いと思います)
知床には家族旅行で行ったことがあるし、知床半島を横切る知床横断道路には、北海道で一番きついという噂の知床峠(740m)がある。
しかし、せっかく北海道を一周するのなら知床に行っておいたほうが良いような気がするし、半島の東側には「熊の湯」という名高い無料の温泉がある。ただ、熊の湯に入るだけなら、知床峠を越えないで、横断道路から40kmくらい南側の国道244で根北峠(490m)を越えてから、半島の東側の道を北上するという手もある。
そげな塩梅で迷っていたのだが、網走まで来て、いざ知床が近づくと、やはり知床へ足を踏み入れたくなった。
知床へ行くかどうかの分岐点が道の駅「しゃり」だ。知床へ向かう一本道の国道334と、根北峠へ向かう国道244が、そこで分かれる。しかも、道の駅しゃりには無料インターネットコーナーがあり、天気予報が確認出来る。私にとっては、まさに旅の要衝と呼べる場所だ。まずは、そこを目指す。
呼人浦を出発し、海岸線を走る。先に見える知床の山々は、雲がかかっているが、雄大だ。
いつも通り、やる気がない感じで16kmくらい走ってから、北浜というところのセイコーマートに入ったら、後ろからハマのKさんが追い付いて来た!Kさんが東京から呼び寄せて昨日北海道に着いたというご友人Nさんも一緒だ。お二人は知床横断道路西口側のウトロという町を目指すらしい。せっかくだから、斜里までお供することにした。
荷物がリュックサック一つのNさんが速い…。逆風もあり、私は気合いを入れて漕いでも平均時速20kmは出せない。
途中の休憩地で、Nさんにフレッシュイチゴジュースを奢って頂いた。今まで飲んだイチゴジュースの中で一番旨かった。そもそも、イチゴジュースを飲んだのはこれが初めてか・・・。それにしても旨かった。
斜里町に入って国道を逸れると、北海道民以外が北海道に抱くイメージそのままの風景があった。だだっ広い空と畑。晴れていたら、もっときれいだったろうなあ。
真面目に漕いで道の駅しゃりに着いた。サイクリングとは、スポーツであった。一人で漕いでいる時は、なるべく疲れないように漕ぐからなぁ。
道の駅の外のベンチに、旅の道具をおっぴろげながら食パンにマヨネーズと何かを乗せて食っている女性チャリダーがいた。この人は、現在北海道を旅している人達の間ではおそらく有名人だ。私も美瑛のライダーハウスでこの人の存在を聞いた。彼女は茨城の自転車屋の娘で、「グレートジャーニー」という、防水性サイドバック4つにフロント・リアキャリアが付いて7万円台の物凄くお買い得な自転車に乗って日本一周を目指している。
話をすると、昨日は摩周湖の展望台にテントを張って寝たらしい。こないだ会った23才女性ライダーと一緒で、怖いもの知らずだなぁ。そして知床峠も越えるらしい。逞しいなぁ、僕ではかないません。
北海道が終わった後は、東北の日本海側を南下してから西日本編が始まるらしい。西日本のどこかでまた会うかもなぁ。「日本のどこかで!」と言って別れた。
結局、後先考えず、ハマのKさん・Nさんに付いてウトロまで行くことにした。明日の天気予報は雨だが、せっかく知床半島の付け根まで来たんだからなぁ。
道の駅しゃりからウトロまでの道は上り坂もあり、ちょいきつかった。だが、この程度できついと言っている私はかなりのへたれだ。
というのも、反対側からギアなしのママチャリで知床峠を越えて来たつわものに会ったからだ。彼はおそらく私より年下で、富山出身、東日本一周予定。「やっぱり苦労しなくては」とママチャリを選択したらしい。修行僧か?私など、ランドナーに乗りながらひいひい言ってるのに・・・。ちょっと刺激を頂けたわ。
16時くらいにウトロの道の駅ウトロ・シリエトクに着いた。走行距離は約92km。私にしては長い方だ。しかも、私にしては飛ばしたからなあ。今日はよく頑張った方だ。Kさんにソフトクリームを奢って頂いた。
道の駅の駐車場前で自転車を押して歩いていると、髪を黄色に染めたおじさんから声をかけられ、「どこから来たの?」『埼玉です』というおなじみの問答をした。が、その後の会話がおなじみではなかった。
「福岡から来たんだ」
『僕も母が福岡ですよ。僕の血の半分は福岡です、僕も生まれだけは福岡ですよ』
「お!福岡のどこや?」
『福岡市西区です』
福岡の人に会えると、無性に嬉しいんだよなあ。また、おじさんの奥さんがの雰囲気が、亡き福岡の祖母に似てるんだなあ。
おじさんは大道芸人で、マイクロバスで全国を移動して仕事をしているらしい。今回は、明日の羅臼町の神社の祭りで仕事を頼まれ、北海道に来た様だ。
以前もおじさん達は秋田に行った時に、私のようなチャリンコ日本一周の若者と出会い、「福岡に来たら泊まりな」とに言ったら、その若者は5ヶ月後くらいに福岡に来て、泊まって行ったそうだ。
という訳で、私も。
「絶対に来なよ!」
『絶対に行きます!』
と、約束を交わした。
私が大道芸人ご夫妻と話している間に、KさんとNさんは観光案内所で温泉宿を予約したらしい。Nさんから、「Kが本多君の宿代払ってくれるって。「俺も若い頃は沢山奢ってもらったから」って言ってたよ。お兄さんに甘えちゃいな」と言われた。昨日初めて会ったばかりの方に、そこまで奢って頂くなんて、申し訳ないな・・・。
道の駅ウトロから宿までの道のりが山道らしい。宿の人が車で迎えに来て自転車ごと乗せてくれた。エルグランドだったが、自転車3台と荷物50kmくらいと成人男性4人(運転手さん含む)が収まった。凄いね。
宿の名前は「ホテル地の涯」という。知床半島の西側では、最も北に位置する宿だ(たぶん)。宿へ向かう一本道にはエゾシカがうじゃうじゃいた。当然ながらヒグマが出没したこともあるらしい。森と沢しかない所だ。
宿は団体観光時代の建物という感じだが、ここの売り物は自然と温泉だ。まず、車から降りると、空気の質感が他とは違う。しっとりまろやかふんわりコクがある?なんなのこれ。この空気はいかにも体に良さそうだ。
お次は、温泉。3人で内風呂に入った後、ホテル脇の森の中にある、混浴の露天風呂に行った。幸い他に客はいない。森の中ですっぽんぽんになったのは初めてだ。開放感を味わうよりも、女性客が来ないか心配だった。
風呂に入った後はご飯を大量に頂いた。多分米を2合以上食べた。おなかパンパンだ。
飯を食い、部屋に戻って、敷いてある布団を枕にあおむけになり歯磨きをしていたら(変だね)、寝てしまった。
(以下、地理の説明がわかりづらいので、地図をご覧になりながらお読みになると良いと思います)
知床には家族旅行で行ったことがあるし、知床半島を横切る知床横断道路には、北海道で一番きついという噂の知床峠(740m)がある。
しかし、せっかく北海道を一周するのなら知床に行っておいたほうが良いような気がするし、半島の東側には「熊の湯」という名高い無料の温泉がある。ただ、熊の湯に入るだけなら、知床峠を越えないで、横断道路から40kmくらい南側の国道244で根北峠(490m)を越えてから、半島の東側の道を北上するという手もある。
そげな塩梅で迷っていたのだが、網走まで来て、いざ知床が近づくと、やはり知床へ足を踏み入れたくなった。
知床へ行くかどうかの分岐点が道の駅「しゃり」だ。知床へ向かう一本道の国道334と、根北峠へ向かう国道244が、そこで分かれる。しかも、道の駅しゃりには無料インターネットコーナーがあり、天気予報が確認出来る。私にとっては、まさに旅の要衝と呼べる場所だ。まずは、そこを目指す。
呼人浦を出発し、海岸線を走る。先に見える知床の山々は、雲がかかっているが、雄大だ。
いつも通り、やる気がない感じで16kmくらい走ってから、北浜というところのセイコーマートに入ったら、後ろからハマのKさんが追い付いて来た!Kさんが東京から呼び寄せて昨日北海道に着いたというご友人Nさんも一緒だ。お二人は知床横断道路西口側のウトロという町を目指すらしい。せっかくだから、斜里までお供することにした。
荷物がリュックサック一つのNさんが速い…。逆風もあり、私は気合いを入れて漕いでも平均時速20kmは出せない。
途中の休憩地で、Nさんにフレッシュイチゴジュースを奢って頂いた。今まで飲んだイチゴジュースの中で一番旨かった。そもそも、イチゴジュースを飲んだのはこれが初めてか・・・。それにしても旨かった。
斜里町に入って国道を逸れると、北海道民以外が北海道に抱くイメージそのままの風景があった。だだっ広い空と畑。晴れていたら、もっときれいだったろうなあ。
真面目に漕いで道の駅しゃりに着いた。サイクリングとは、スポーツであった。一人で漕いでいる時は、なるべく疲れないように漕ぐからなぁ。
道の駅の外のベンチに、旅の道具をおっぴろげながら食パンにマヨネーズと何かを乗せて食っている女性チャリダーがいた。この人は、現在北海道を旅している人達の間ではおそらく有名人だ。私も美瑛のライダーハウスでこの人の存在を聞いた。彼女は茨城の自転車屋の娘で、「グレートジャーニー」という、防水性サイドバック4つにフロント・リアキャリアが付いて7万円台の物凄くお買い得な自転車に乗って日本一周を目指している。
話をすると、昨日は摩周湖の展望台にテントを張って寝たらしい。こないだ会った23才女性ライダーと一緒で、怖いもの知らずだなぁ。そして知床峠も越えるらしい。逞しいなぁ、僕ではかないません。
北海道が終わった後は、東北の日本海側を南下してから西日本編が始まるらしい。西日本のどこかでまた会うかもなぁ。「日本のどこかで!」と言って別れた。
結局、後先考えず、ハマのKさん・Nさんに付いてウトロまで行くことにした。明日の天気予報は雨だが、せっかく知床半島の付け根まで来たんだからなぁ。
道の駅しゃりからウトロまでの道は上り坂もあり、ちょいきつかった。だが、この程度できついと言っている私はかなりのへたれだ。
というのも、反対側からギアなしのママチャリで知床峠を越えて来たつわものに会ったからだ。彼はおそらく私より年下で、富山出身、東日本一周予定。「やっぱり苦労しなくては」とママチャリを選択したらしい。修行僧か?私など、ランドナーに乗りながらひいひい言ってるのに・・・。ちょっと刺激を頂けたわ。
16時くらいにウトロの道の駅ウトロ・シリエトクに着いた。走行距離は約92km。私にしては長い方だ。しかも、私にしては飛ばしたからなあ。今日はよく頑張った方だ。Kさんにソフトクリームを奢って頂いた。
道の駅の駐車場前で自転車を押して歩いていると、髪を黄色に染めたおじさんから声をかけられ、「どこから来たの?」『埼玉です』というおなじみの問答をした。が、その後の会話がおなじみではなかった。
「福岡から来たんだ」
『僕も母が福岡ですよ。僕の血の半分は福岡です、僕も生まれだけは福岡ですよ』
「お!福岡のどこや?」
『福岡市西区です』
福岡の人に会えると、無性に嬉しいんだよなあ。また、おじさんの奥さんがの雰囲気が、亡き福岡の祖母に似てるんだなあ。
おじさんは大道芸人で、マイクロバスで全国を移動して仕事をしているらしい。今回は、明日の羅臼町の神社の祭りで仕事を頼まれ、北海道に来た様だ。
以前もおじさん達は秋田に行った時に、私のようなチャリンコ日本一周の若者と出会い、「福岡に来たら泊まりな」とに言ったら、その若者は5ヶ月後くらいに福岡に来て、泊まって行ったそうだ。
という訳で、私も。
「絶対に来なよ!」
『絶対に行きます!』
と、約束を交わした。
私が大道芸人ご夫妻と話している間に、KさんとNさんは観光案内所で温泉宿を予約したらしい。Nさんから、「Kが本多君の宿代払ってくれるって。「俺も若い頃は沢山奢ってもらったから」って言ってたよ。お兄さんに甘えちゃいな」と言われた。昨日初めて会ったばかりの方に、そこまで奢って頂くなんて、申し訳ないな・・・。
道の駅ウトロから宿までの道のりが山道らしい。宿の人が車で迎えに来て自転車ごと乗せてくれた。エルグランドだったが、自転車3台と荷物50kmくらいと成人男性4人(運転手さん含む)が収まった。凄いね。
宿の名前は「ホテル地の涯」という。知床半島の西側では、最も北に位置する宿だ(たぶん)。宿へ向かう一本道にはエゾシカがうじゃうじゃいた。当然ながらヒグマが出没したこともあるらしい。森と沢しかない所だ。
宿は団体観光時代の建物という感じだが、ここの売り物は自然と温泉だ。まず、車から降りると、空気の質感が他とは違う。しっとりまろやかふんわりコクがある?なんなのこれ。この空気はいかにも体に良さそうだ。
お次は、温泉。3人で内風呂に入った後、ホテル脇の森の中にある、混浴の露天風呂に行った。幸い他に客はいない。森の中ですっぽんぽんになったのは初めてだ。開放感を味わうよりも、女性客が来ないか心配だった。
風呂に入った後はご飯を大量に頂いた。多分米を2合以上食べた。おなかパンパンだ。
飯を食い、部屋に戻って、敷いてある布団を枕にあおむけになり歯磨きをしていたら(変だね)、寝てしまった。
46日目 6/29 湧別町~網走市
とろくさい私は、最後に出発した宿泊者であーる。遅い。
今日はサロマ湖のワッカ原生花園で野生の花を見て、網走で宿泊予定。
いつも通り淡々と目的地までチャリンコを漕いだ。ワッカ原生花園の観光案内所であるネイチャーセンターに到着。ネイチャーセンターなのに、自然の説明よりも売店の方に力が入っていそうだ。大量の観光客が、名物らしいホタテ弁当を食べている。
サロマ湖は汽水湖で、オホーツク海と繋がっている。で、湖とオホーツク海を隔てる細い陸地(なんつーの?)に花々が咲く。細い陸地を通る道は、その美しさから「龍宮街道」と名付けられている。
で、その龍宮街道をチャリンコで進む。車両進入禁止な上に、ばっちり舗装されているから快適だ。
花々がぶわーっと一面を占めているのかと思っていたが、自然の花園は花畑とは違うらしい(当たり前か)。雑草の合間に花の群れがある感じだ。雑木林みたいなもんか?正直な所、期待していた程の景色ではないが、綺麗は綺麗だ。ハマナスとユリ科の何かが多い。色がとても鮮やかだ。昔の日本人だったら的確に色の名を言えるのだろうが、私は「赤寄りの赤紫」や、「濃い橙色」等としか表現出来ない。
龍宮街道が結構長く、往復で10km以上走った。時間も13時半を回ってしまった。網走まで行かねば。焦るなあ。
淡々と漕ぐしかない。が。とうとうサイクリングロードが出現した。オホーツク自転車道。常呂町から、網走市の郊外を結んでいる。やっと車に煩わされずに走れる(車からしたら、我々が煩わしいだろうが)。
オホーツク自転車道は、国道238に沿って延びているが、大変有り難いことに、国道よりもかなりアップダウンが少なく作られている。嬉しいねえ。
サロマ湖の東の能取湖(やっぱり汽水湖)の西岸に沿って進む。北海道のサイクリングロードは、緑が深く、人がまったくいない。不気味だ…。幽霊が出そうだ。ただ、能取湖のサンゴ草は、秋に来たら綺麗だろうなあ。
能取湖を過ぎたら網走湖に着いた。都市の中の湖なのかと思っていたら、湖の周りは山だ。網走市は、市街地が小さいのね。
とりあえず夕飯の買い出しに市街地へ。すると、昨日宿が一緒だった、自転車のSさん(大阪府・28才)が向こうから来た。網走湖畔の呼人浦キャンプ場に泊まるらしい。私も呼人浦に確定。テント張りたくないけど、無料だしな。
Sさんと会った後は、フォルクスワーゲンのゴルフRを発見。400万円を超す、ぜいたくな大衆車だ。良いなあ。まだ埼玉でも見かけないのに、まさか網走で出会えるとは。嬉しい。
お次は、網走駅前のローソンで、昨日宿が一緒だった肝っ玉娘のバイクを発見。荷物を豪快に積んだまま放ったらかしてある。所有者は、ローソンの中にいるわけではなさそうだ。列車でどこかに行ったのか?
更に、 バイクの横に、旅行者仕様の自転車もあった。自転車はロードだが、リアにサイドバッグとテント道具がセットしてある。しげしげと眺めていると、駅前の階段に座っている男性に「こんにちは」と声を掛けられた。
横浜から仕事の休暇で自転車ツーリングに来ているKさん(札幌のKさんと区別する為、以下「ハマのKさん」)だった。Kさんは、かつて仕事を辞めてバックパッカーとして海外旅行をした程の旅好きだ。今回は自転車と共に飛行機に乗り、往路は羽田から旭川、復路は釧路から羽田、という、道東(北海道の東側)を攻めるコースだ。明日は知床へ行くそうだ。ただ、天気予報が悪く、道東はしばらく雨が続くようだ。私も、明日以降のコースは決めかねている。
Kさんに名刺を渡して別れた後、セイコーマートで卵とニラと豆腐を買って呼人浦キャンプ場に向かった。
呼人浦に着くと、Sさんが自転車旅行者のおじさんと話していた。おじさんの自転車はランドナー(旅用自転車、私のもランドナー)で、今は生産されていない「アルプス」というブランドだ。津軽海峡線で会ったおじさんもアルプスだった。やはりおじさんは良い物を持っている。このおじさんは更に、フロンとキャリアも、今は生産されていない「日東キャンピー3」というのを付けていた。ええのう。
私は、ここぞとばかりに自分の自転車の不具合についておじさんに聞いた。
サイズの合わないタイヤを履いていることについては、「650Aってのはママチャリのタイヤと同じサイズなんだよ。その自転車屋は、それを知ってて650Bを売ったんだ。そのタイヤ、メーカーが廃業して今は生産されていない奴だから、自転車屋にとっては在庫処分だな。ぼったくりだよ。今の時代、ランドナーに乗るなら、ある程度知識がないとそうやってボラれるよ」。うぎゃー!あのチャリンコ屋のじじいふざけやがって!8500円は高い勉強料だった…
次に、前のギアが一番軽いとこに変わらないこと(自転車のことを知らないので専門用語が出てこない)については、「ディレーラーがおかしいんだろ。それは俺はわからないな。詳しい人じゃないと」。ディレーラーという言葉を初めて聞いた。メカはわからん。それを横で聞いていたSさんがiphoneで調べてくれた。よくわからんが、ディレーラーの下のネジを緩めれば良いらしい。緩めたらうまくギアが変わるようになった。物凄く助かります、ありがとうございます。
呼人浦は夕陽がとてもきれいに見える。北海道に来て日没を眺められたのは、これでやっと四度目だ。
晩飯。おじさんは今日が旅の最終日(「嫁さんの実家の墓参り」という名目での二週間のチャリンコ一人旅)ということで、調味料等を私にたくさんくれた。特に、油を頂けたのはとても助かる。お陰でニラ玉を作ることが出来た。おじさんから、「若いのにバランス考えてるな」と感心された。おじさんは更にホッカイシマエビの頭で出汁をとった味噌汁と、特製キュウリの漬物と、ウニ少々をくれた。どれも旨かった。おじさんは「俺も若い頃はおごってもらったからな。恩返しだ、恩返し」と言った。
今日はサロマ湖のワッカ原生花園で野生の花を見て、網走で宿泊予定。
いつも通り淡々と目的地までチャリンコを漕いだ。ワッカ原生花園の観光案内所であるネイチャーセンターに到着。ネイチャーセンターなのに、自然の説明よりも売店の方に力が入っていそうだ。大量の観光客が、名物らしいホタテ弁当を食べている。
サロマ湖は汽水湖で、オホーツク海と繋がっている。で、湖とオホーツク海を隔てる細い陸地(なんつーの?)に花々が咲く。細い陸地を通る道は、その美しさから「龍宮街道」と名付けられている。
で、その龍宮街道をチャリンコで進む。車両進入禁止な上に、ばっちり舗装されているから快適だ。
花々がぶわーっと一面を占めているのかと思っていたが、自然の花園は花畑とは違うらしい(当たり前か)。雑草の合間に花の群れがある感じだ。雑木林みたいなもんか?正直な所、期待していた程の景色ではないが、綺麗は綺麗だ。ハマナスとユリ科の何かが多い。色がとても鮮やかだ。昔の日本人だったら的確に色の名を言えるのだろうが、私は「赤寄りの赤紫」や、「濃い橙色」等としか表現出来ない。
龍宮街道が結構長く、往復で10km以上走った。時間も13時半を回ってしまった。網走まで行かねば。焦るなあ。
淡々と漕ぐしかない。が。とうとうサイクリングロードが出現した。オホーツク自転車道。常呂町から、網走市の郊外を結んでいる。やっと車に煩わされずに走れる(車からしたら、我々が煩わしいだろうが)。
オホーツク自転車道は、国道238に沿って延びているが、大変有り難いことに、国道よりもかなりアップダウンが少なく作られている。嬉しいねえ。
サロマ湖の東の能取湖(やっぱり汽水湖)の西岸に沿って進む。北海道のサイクリングロードは、緑が深く、人がまったくいない。不気味だ…。幽霊が出そうだ。ただ、能取湖のサンゴ草は、秋に来たら綺麗だろうなあ。
能取湖を過ぎたら網走湖に着いた。都市の中の湖なのかと思っていたら、湖の周りは山だ。網走市は、市街地が小さいのね。
とりあえず夕飯の買い出しに市街地へ。すると、昨日宿が一緒だった、自転車のSさん(大阪府・28才)が向こうから来た。網走湖畔の呼人浦キャンプ場に泊まるらしい。私も呼人浦に確定。テント張りたくないけど、無料だしな。
Sさんと会った後は、フォルクスワーゲンのゴルフRを発見。400万円を超す、ぜいたくな大衆車だ。良いなあ。まだ埼玉でも見かけないのに、まさか網走で出会えるとは。嬉しい。
お次は、網走駅前のローソンで、昨日宿が一緒だった肝っ玉娘のバイクを発見。荷物を豪快に積んだまま放ったらかしてある。所有者は、ローソンの中にいるわけではなさそうだ。列車でどこかに行ったのか?
更に、 バイクの横に、旅行者仕様の自転車もあった。自転車はロードだが、リアにサイドバッグとテント道具がセットしてある。しげしげと眺めていると、駅前の階段に座っている男性に「こんにちは」と声を掛けられた。
横浜から仕事の休暇で自転車ツーリングに来ているKさん(札幌のKさんと区別する為、以下「ハマのKさん」)だった。Kさんは、かつて仕事を辞めてバックパッカーとして海外旅行をした程の旅好きだ。今回は自転車と共に飛行機に乗り、往路は羽田から旭川、復路は釧路から羽田、という、道東(北海道の東側)を攻めるコースだ。明日は知床へ行くそうだ。ただ、天気予報が悪く、道東はしばらく雨が続くようだ。私も、明日以降のコースは決めかねている。
Kさんに名刺を渡して別れた後、セイコーマートで卵とニラと豆腐を買って呼人浦キャンプ場に向かった。
呼人浦に着くと、Sさんが自転車旅行者のおじさんと話していた。おじさんの自転車はランドナー(旅用自転車、私のもランドナー)で、今は生産されていない「アルプス」というブランドだ。津軽海峡線で会ったおじさんもアルプスだった。やはりおじさんは良い物を持っている。このおじさんは更に、フロンとキャリアも、今は生産されていない「日東キャンピー3」というのを付けていた。ええのう。
私は、ここぞとばかりに自分の自転車の不具合についておじさんに聞いた。
サイズの合わないタイヤを履いていることについては、「650Aってのはママチャリのタイヤと同じサイズなんだよ。その自転車屋は、それを知ってて650Bを売ったんだ。そのタイヤ、メーカーが廃業して今は生産されていない奴だから、自転車屋にとっては在庫処分だな。ぼったくりだよ。今の時代、ランドナーに乗るなら、ある程度知識がないとそうやってボラれるよ」。うぎゃー!あのチャリンコ屋のじじいふざけやがって!8500円は高い勉強料だった…
次に、前のギアが一番軽いとこに変わらないこと(自転車のことを知らないので専門用語が出てこない)については、「ディレーラーがおかしいんだろ。それは俺はわからないな。詳しい人じゃないと」。ディレーラーという言葉を初めて聞いた。メカはわからん。それを横で聞いていたSさんがiphoneで調べてくれた。よくわからんが、ディレーラーの下のネジを緩めれば良いらしい。緩めたらうまくギアが変わるようになった。物凄く助かります、ありがとうございます。
呼人浦は夕陽がとてもきれいに見える。北海道に来て日没を眺められたのは、これでやっと四度目だ。
晩飯。おじさんは今日が旅の最終日(「嫁さんの実家の墓参り」という名目での二週間のチャリンコ一人旅)ということで、調味料等を私にたくさんくれた。特に、油を頂けたのはとても助かる。お陰でニラ玉を作ることが出来た。おじさんから、「若いのにバランス考えてるな」と感心された。おじさんは更にホッカイシマエビの頭で出汁をとった味噌汁と、特製キュウリの漬物と、ウニ少々をくれた。どれも旨かった。おじさんは「俺も若い頃はおごってもらったからな。恩返しだ、恩返し」と言った。
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