44日目 6/27 猿払(さるふつ)村~雄武(おうむ)町
宗谷岬を越えると、道は南東を向く。今日の目標は興部(おこっぺ)町。興部町の道の駅にある、列車を利用した宿泊所が無料で泊まれるのだ。興部町の手前の雄武町にもキャンプ場があるが、テントは面倒臭いから嫌だ。テントを張りたくない一心で興部町を目指す。
私はライダー、チャリダー御用達の「ツーリングマップル」という地図を持ち歩いているのが、それの猿払村のページにエサヌカ線という道があり、「09年版ツーリングマップル表紙撮影地」「牧草地を貫く直線が地平線に向かって延びている」と捕捉説明が付いている。18kmくらいありそうな道だ。エサヌカ線にほぼ平行して国道も走っているが、国道はつまらんだろうと、エサヌカ線に足を踏み入れた。
これが間違いだった。文字通り、草原と牧草地と私の大嫌いな強風しかない。例によって、バイクなら良いんだろうけどチャリンコなら疲れるだけの道だ。苦痛。
途中、牧草を運んでいる場面に出くわした。牧草積み機(よくわからんがクレーン車のようなでかい機械)とダンプが牧草畑を並走し、牧草積み機が、牧草の塊を一つずつ拾ってダンプの荷台に積む。ダンプは荷台が牧草で満載になったら畑を出て行く。牧場に向かうのだろう。
ダンプは数台行き来している。酪農とは、何と金のかかる商売なのだろうと思った。こんなことをしながら、余った牛乳を捨てたりしているのだから、赤字になるに決まっている。酪農なんてやるもんじゃないな。
ファッキンエサヌカ線を抜けると浜頓別(はまとんべつ)町に入る。そして、その市街地を出たら、さらなる地獄の横風が待ち受けていた。向かって右から左へ吹いているので、道路から落ちそうだ。私の方には歩道がないので、反対車線側の歩道をゆっくり漕いだ。強風の中をビュン!と貫いてくる突風が怖い。歩道の右端を死守。
何とかミニ台風forサイターマンを乗り切り、トンネルに入った。車道の端を走っていると、反対車線側の歩道で、ピカピカと赤いライトが点滅しているのが見える。近づくと、乳母車の様なものを私と同じ方向へ押しながら歩いている人がいる。もしや、旅人の間で噂の「福岡からリアカー引きながら日本一周している70才のおじいさん」ではないか?
『こんにちはー!』
「こんにちは、気を付けてな~」
『はい、ありがとうございます!』
ここで過ぎ去る私ではない。先にトンネルを抜けて、待った。
『こんにちは、福岡の方ですか?』
「いや、富山だよ」
違った。リアカーじゃなくてフロントカーだしな。車椅子と買い物カートの合いの子の様に見える。リュックが乗っている。
話を伺うと、この方は68才で、一昨年は鹿児島の佐多岬から宗谷岬まで縦断したので、今回はその復路ということで、宗谷岬から南下するらしい。壮健です。フルマラソンを50才から始めて既に250回完走したとのこと…。もう地球一周分の距離を走ったそうだ。
とっくに定年の年齢だが、特殊な技術を持っているので会社に請われてまだ勤めていらっしゃるそうで、フロントカーも溶接から何から、ご自分でお作りになったとのこと。このフロントカーがまた素晴らしいもので、乳母車の様に押すだけではなく、ガチャガチャとパーツを組み換えて、キャリーバッグのように転がすこともできるし(コンパクトで、飛行機に積める)、ブレーキも付いているし、正確に真っ直ぐ進む。はぁ、私は何でも買ってばかりだから、いつかはこのお父さんの様に、自分で色々工夫出来るようにならなきゃなあ。
30分ぐらい立ち話をした。私の自転車旅について、お父さんは「いつかは、この苦労が役に立つよ」と言って下さった。結構色々な方にそう言って頂けるのだが、その度に「そうかねえ?」と疑問に思う。だが、このお父さんの様に旅を実践している方に言われると、「じゃあ頑張ろう」という気になる。
名刺交換と写真撮影をしてお別れした。このような出会いが、人生の糧になると確信している。旅をする意義は、出会いにこそある。
この後、ひたすら進んだが、興部町には到らなかった。結局、興部町の一つ手前の雄武町の日の出岬キャンプ場にテントを張った。綺麗な日没が見られたから、まあよしと致しましょうか。
私はライダー、チャリダー御用達の「ツーリングマップル」という地図を持ち歩いているのが、それの猿払村のページにエサヌカ線という道があり、「09年版ツーリングマップル表紙撮影地」「牧草地を貫く直線が地平線に向かって延びている」と捕捉説明が付いている。18kmくらいありそうな道だ。エサヌカ線にほぼ平行して国道も走っているが、国道はつまらんだろうと、エサヌカ線に足を踏み入れた。
これが間違いだった。文字通り、草原と牧草地と私の大嫌いな強風しかない。例によって、バイクなら良いんだろうけどチャリンコなら疲れるだけの道だ。苦痛。
途中、牧草を運んでいる場面に出くわした。牧草積み機(よくわからんがクレーン車のようなでかい機械)とダンプが牧草畑を並走し、牧草積み機が、牧草の塊を一つずつ拾ってダンプの荷台に積む。ダンプは荷台が牧草で満載になったら畑を出て行く。牧場に向かうのだろう。
ダンプは数台行き来している。酪農とは、何と金のかかる商売なのだろうと思った。こんなことをしながら、余った牛乳を捨てたりしているのだから、赤字になるに決まっている。酪農なんてやるもんじゃないな。
ファッキンエサヌカ線を抜けると浜頓別(はまとんべつ)町に入る。そして、その市街地を出たら、さらなる地獄の横風が待ち受けていた。向かって右から左へ吹いているので、道路から落ちそうだ。私の方には歩道がないので、反対車線側の歩道をゆっくり漕いだ。強風の中をビュン!と貫いてくる突風が怖い。歩道の右端を死守。
何とかミニ台風forサイターマンを乗り切り、トンネルに入った。車道の端を走っていると、反対車線側の歩道で、ピカピカと赤いライトが点滅しているのが見える。近づくと、乳母車の様なものを私と同じ方向へ押しながら歩いている人がいる。もしや、旅人の間で噂の「福岡からリアカー引きながら日本一周している70才のおじいさん」ではないか?
『こんにちはー!』
「こんにちは、気を付けてな~」
『はい、ありがとうございます!』
ここで過ぎ去る私ではない。先にトンネルを抜けて、待った。
『こんにちは、福岡の方ですか?』
「いや、富山だよ」
違った。リアカーじゃなくてフロントカーだしな。車椅子と買い物カートの合いの子の様に見える。リュックが乗っている。
話を伺うと、この方は68才で、一昨年は鹿児島の佐多岬から宗谷岬まで縦断したので、今回はその復路ということで、宗谷岬から南下するらしい。壮健です。フルマラソンを50才から始めて既に250回完走したとのこと…。もう地球一周分の距離を走ったそうだ。
とっくに定年の年齢だが、特殊な技術を持っているので会社に請われてまだ勤めていらっしゃるそうで、フロントカーも溶接から何から、ご自分でお作りになったとのこと。このフロントカーがまた素晴らしいもので、乳母車の様に押すだけではなく、ガチャガチャとパーツを組み換えて、キャリーバッグのように転がすこともできるし(コンパクトで、飛行機に積める)、ブレーキも付いているし、正確に真っ直ぐ進む。はぁ、私は何でも買ってばかりだから、いつかはこのお父さんの様に、自分で色々工夫出来るようにならなきゃなあ。
30分ぐらい立ち話をした。私の自転車旅について、お父さんは「いつかは、この苦労が役に立つよ」と言って下さった。結構色々な方にそう言って頂けるのだが、その度に「そうかねえ?」と疑問に思う。だが、このお父さんの様に旅を実践している方に言われると、「じゃあ頑張ろう」という気になる。
名刺交換と写真撮影をしてお別れした。このような出会いが、人生の糧になると確信している。旅をする意義は、出会いにこそある。
この後、ひたすら進んだが、興部町には到らなかった。結局、興部町の一つ手前の雄武町の日の出岬キャンプ場にテントを張った。綺麗な日没が見られたから、まあよしと致しましょうか。
カレンダー
アーカイブ
最新記事
最新CM
カテゴリー
プロフィール
HN:
本多
性別:
男性
職業:
素浪人
自己紹介:
旅烏になり申す。
ブログ内検索
経県値
広告
PR
この記事へのコメント
のんびり走れ
今日はどのあたりを走っているのかな。
これからさらにいいシーズンになるので、
沢山の経験と出会いを得てください。
本州は蒸すぞ!
こんにちは
昨晩から千歳の友達の家に御厄介になっております。
あと1週間で僕の北海道旅もおわりです。