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素浪人の生存報告

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二十四日目 せたな町~蘭越町

 5時起き。野球場のベンチでは眠りを妨げられることはなかった。屋外でテントを張らずに寝たのは生まれて初めてだな~。
 せたな町瀬棚町からせたな町北檜山町(色々合併して「せたな町」になった)に少し戻って、コインランドリーで洗濯した。洗濯しながらパンとチョコレートとおにぎりと野菜ジュースで朝食をとり、歯磨きをし、出発。

 再びせたな町瀬棚町に戻り、セイコーマート(北海道のコンビニ。小さなスーパーマーケットの様な品ぞろえで、私はコンビニの中ではセイコーマートが一番好きだ)で用を足してポカリ粉末を買い、外に出たらおじさんに話しかけられた。

「何処に行くんですか?」
『北海道をぐるっと回ります』
「さっき別の自転車の子を島牧まで送って行ったよ」
『ああ、いましたね自転車の人(昨日見かけた)。僕もこれから島牧の方へ行くんです』
「送ろうか?」

 という訳で、おじさんのトラックに乗せてもらった。ここから島牧まではトンネルが続くので、大変有難い。
 おじさんは64歳で、ペンキ塗りの仕事をしながら道内を回っているそうだ。若い時は板前として働き、途中で建築業を自分で興したらしい。36年間建築業をやって、辞めた社員はたったの2人、それも体調等の理由からだったそうな。
 「僕はお金はないけど、子供だけが宝物」と、23と21の娘さんがいて、「失われた10年」以前から大不況が続いているこの北海道で、高卒で就職して今も働いているそうだ。大したものだと思う。でも、この柔和なおじさんのお子さんならば、真っ当に育ったのだろうと頷ける。

 島牧村の先の寿都町まで送って頂いた。80kmくらい省略出来た。省略した道は、何も面白くない道だったし、片側工事中という恐ろしいトンネルもあったので、凄く助かった。
 そして、寿都に着いたらおじさんが私の前に送った自転車君(24歳)がいた。彼は、旅に出る前はメッセンジャーとして大阪で働いていたらしい(ただし三重県出身)。装備もドイツ製の機能性の高い物だし、昨日は150kmくらい走った様だし、私とはモノが違う。道具の事など教えてもらって、とても参考になった。次は私もドイツ製品を買おうと決めた。
 彼もやはり日本一周予定で、北海道では山を登ったりして2か月滞在する予定らしい。そして8月に青森に渡り、ねぶた祭りを巡る様だ。お祭り好きだ。
 自転車君24とは、20kmくらい道を共にし、蘭越町のドライブインで一緒に昼食をとった。彼も私と同じく、冬は沖縄でバイトをしようと考えているらしいので、「沖縄で会おう」と言って別れた。こういう旅の出会いは面白いねえ。

 本当は明日伺う予定だった、蘭越町の硫酸山(http://www.d1.dion.ne.jp/~watabonz/index.html)のSさん宅に今日行ってみることにした。80kmはありがたかった…。
 蘭越町は有名な「ニセコ」の西隣にあり、海と山と川を持つ、静かで綺麗な米どころだ。旅行者が訪れるような観光地は大してないが、だからこそ落ち着いていて、住むにはとても良い所だと思う(冬は寒いだろうけど…)。
 硫酸山は、北海道開発局が土を採る為に山を削ったら地中に埋まってた硫化物が出てきて酸化して硫酸になって植物を枯らしてしまった所だ(雑な説明。詳しくは硫酸山ウェブサイトをご覧ください。面白いよ)。Sさんはその山を緑化する活動をしており、私は一昨年こちらにwwoofで滞在させて頂いた。そこでたまたま一緒にwwoofで滞在したドイツ人と香港人と木を植えたり堆肥を盛ったりして、とても楽しかった。

 Sさんは快く1日早く到着した私を受け入れて下さった。山の一部にテントを張らせて頂いた。
 再び訪れた硫酸山は、一昨年よりもかなり緑地が増えていた。私とドイツ人が堆肥を撒いた崖も、結構草が定着していた。うれしい。(あとで山の写真をあっぷします)
 今日は17歳の香港人女子のレイ(一昨年とは別の人)がwwoofで来ていた。本当は友達と二人で来る予定だったが、友達はパスポートの期限が切れていて、空港で止められてしまったそうな。迂闊な友達だな。で、レイは一人で飛行機と電車を乗り継ぎ、蘭越まで来た、と。偉いね。心細かったろうに。この子は独学で日本語を勉強していて、頑張りながら言葉を紡いで喋ってくれる。日本に来る外人って、皆頭良いよなぁ。

 今日はご飯を頂いておねんね。明日は農作業!

二十三日目 6/6 江差町~せたな町

地図を見て、今日は移動日だろうと思っていた。特に見るべき所はなさそうだ。
で、進んでてみると、見るべき所はないどころか、1km強のトンネル二本あり、峠ありで辛かった。
トンネルはこたえたな。車道は怖くて走れないので54cmくらいの幅の歩道を漕いで行こうとしたらバランスを崩した。もしも車道に倒れたら死ぬ。せま~い歩道を押して歩くことにした。荷物があるので押してもバランスが取りづらい。緊張して体に余計な力が入るし、峠よりきつい。肩と腕が凝るわ。

新潟県的なうらさびしくつまらない海岸と峠とトンネルの、「精神肉体複合的悪路三拍子」の一日。まぁ、楽な旅路なんてそうそうないな。しゃあない。

瀬棚町の親切な町民に連れて行って頂いた野球場のベンチがお宿。寝床決定は20時過ぎでしたな。俺も色々と図太くなったね。

二十二日目 6/5 津軽今別駅~北海道江差町(2)

山を抜けて、上ノ国という町に入った。まともな物を食べようと思い、食堂でカツ定食を食べた。950円、大金だ。だが蛋白質と油を補給出来た。

上ノ国の北隣の江差町(日本海に面していて、かつてニシン漁で大儲けした町)が今日の目的地だ。地図によると、港の横の島にキャンプ場がある。
江差町の日本海は穏やかで視界も広かった。実に心地良い。やっぱり北海道だ。

キャンプ場は島の丘の上にあり、残念ながら島へは自転車乗り入れ禁止だった。わしは荷物が多い。鉄道への出し入れだけでも大変だったのに、丘じゃあ…話にならない。諦めた。

うろちょろして、19時に日没を眺め(何で夕日はこんなに美しいのだろうと思った)、20時前頃に海辺のコテージ的宿泊施設(宿泊客なし)の前の砂地にテントを張った。浜辺から一段高い位置にある。この町は、店も人家も車の往来もあるから、野営も安心だ。北海道初日が終わった。

二十二日目 6/5 津軽今別駅~北海道江差町(1)

白鳥に自転車と荷物をあせりながら積み込み、青函トンネルを潜った。
車内で、55歳で早期退職してから毎年自転車旅行している現在65歳のおじさんに会った。やはり自転車畳んで袋に入れて積み込んでた。もうチャリダー10年目で、ベテランですな。
このおじさんも北九州小倉出身で、大学は北大、浦和に住んだこともあるという方だった。新潟で出会った日本一周青年も、秋田で泊めて頂いたお寺の奥さんも福岡出身だったし、何だか福岡に縁がある旅で嬉しいな(私も母が福岡育ち)。
ついでに、埼玉に住んだことがあるとか、子供が埼玉に住んでるとか、親戚が埼玉にいるという人にも、この旅に出てから10人以上(15人以上かも)に出会った。私の知らぬ所で埼玉が日本を席巻していたのか。

おじさんは私の一つ前の駅で降りた。私は木古内駅で降りた。やはり慌てて荷物を降ろした。そして、駅の階段を3往復して荷物を運んだ。疲れた。もう輪行は二度としたくない。荷物が大きすぎる。

さて、久し振りの北海道に気力が満ち溢れる。海が穏やかで広い。晴れてくれたし、この旅に出て以来最も気分が良い。最高だ!足もよく回り、時速20km台ですいすい進む…
のは、本格的な登り坂までだった。100m級の低い峠だが、私にはきつい。押してあるくしかない。汗をかいた。峠を越えて下った後もアップダウンがあって欝陶しい。

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職業:
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旅烏になり申す。

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