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素浪人の生存報告

カテゴリー「旅 II 蝦夷地〜東北太平洋」の記事一覧

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45日目 6/28  雄武町~湧別町

本日は湧別町のSL客車宿泊施設を目指す。何となくおもしろそうだし、300円だし、洗濯機があるし、テントを張らなくて良いし。と、4拍子揃っている。

日の出岬から10km強で興部町に着いた。道の駅の売店で、酪農の町・興部の名物らしいアイスと、発酵バターケーキを買おうとしたら、店員のおじさんにアイスではなくソフトクリームを薦められた。
 埼玉にも旨いソフトクリーム屋あるしな…と期待しないで食べてみたら、死ぬほど旨い。最強のソフトクリームにであった~。まろやかでうめ~!間違いなく我が人生歴代1位のソフトクリームだ。久しぶりにソフトクリーム好きの血が騒いだ。旨すぎる。私をうならせるとは、大したもんですよ。
 このソフトクリームには、乳化剤や安定剤などの食品添加物を使っていないらしい。後味が良い。ねとねととは縁がなく、さっぱりしている。無い金をはたいて、たまらずおかわりした。今日は食い道楽の日にする。おじさんが大盛りにしてくれたぜ、ハミデル・ラヴィーン。味がしつこくないから、ペロッと2本いけた。餌が良くないと、この味は出せないだろうな。こんなに人を感動させるような旨い物を作ってしまう酪農を、早速見直した。午前10時台にして、本日のハイライトだ。
 何度もしつこいが、本当に旨かった。このソフトクリームを食べるためだけに、いつか興部を再訪したい。この旅は来年まで続く予定だが、興部ソフトクリームが、旅で食べた旨い物ランキング1位になりそうだ。まっこと感動した。旅をする意義は、旨いソフトクリームとの出会いにこそある。

発酵バターケーキも、手抜きとごまかしと大量生産の為の食品添加物は使っておらず、おいしかった。だが、その直後に、食欲に負けて(朝飯はご飯一合以上食べたのだが…)コンビニでメロンパンを買って食べた。こちらは勿論食品添加物多数使用。当然まずかった。後味が悪い。いくら腹が減っても、まずい物は「まずい」と思いながら食べて、味覚を維持する。空腹に味覚は売らんぞ。でも腹は満たすぞ。せめぎ合い。

興部から先へ進み、紋別の道の駅のバス停のベンチで昼食の食パンをかじっていると、日焼けした精悍なお兄さんに声をかけられた。
「どこから来たの?」
『埼玉からです』
「日本一周?」
『はい、そのつもりです』「俺も前自転車で日本一周したんだ。久し振りに(自転車野郎を)見たから声かけてみた」

この方、薩摩隼人で、鹿児島の養蜂会社に勤め、蜂蜜を集める為に全国を巡っているらしい。会社の場所を教えてもらったので、鹿児島に行った際には是非寄ろう。
「俺も旅してた時には色んな人にお世話になったから」と、自販機の飲み物を二本ごちそうになった。また良い方に出会えました。

夕焼けが有名なサロマ湖。私は大学の時にその存在を知り、行ってみたいと思ってから早7、8年。本日の宿はサロマ湖のほとりにあるが、完全な曇り空で、すっぱりと憧れの夕焼けを諦めた。見たい景色を見られないことには、もう慣れた。

お宿はSLの客車だ。座席がとっぱらわれ、床が改装され、平らになっている車内に、寝る空間が番号で区切られており、その枠内で各々の寝袋なりなんなりで寝る、というあんばいだ。
私の他に6人の宿泊者がいた。自転車で京都からフェリーで来ている大阪出身の28才の人がいた。昨日どこかの道の駅で見た人だ。他は全員ライダーだった。その中に23才女性のライダーがおり、バイクで2ヶ月北海道を回った後はバックパッカーとして世界一周すると言っていた。怖いもの知らずだ。
 管理人室でわいわい飯を食べた。宿の前の水産屋で買ったほたて(大量にパックに入って300円)とけがに(小さいけど550円)を食べた。管理人さんが凄くいい人だった。リフレッシュできた。

44日目 6/27  猿払(さるふつ)村~雄武(おうむ)町

宗谷岬を越えると、道は南東を向く。今日の目標は興部(おこっぺ)町。興部町の道の駅にある、列車を利用した宿泊所が無料で泊まれるのだ。興部町の手前の雄武町にもキャンプ場があるが、テントは面倒臭いから嫌だ。テントを張りたくない一心で興部町を目指す。

私はライダー、チャリダー御用達の「ツーリングマップル」という地図を持ち歩いているのが、それの猿払村のページにエサヌカ線という道があり、「09年版ツーリングマップル表紙撮影地」「牧草地を貫く直線が地平線に向かって延びている」と捕捉説明が付いている。18kmくらいありそうな道だ。エサヌカ線にほぼ平行して国道も走っているが、国道はつまらんだろうと、エサヌカ線に足を踏み入れた。

これが間違いだった。文字通り、草原と牧草地と私の大嫌いな強風しかない。例によって、バイクなら良いんだろうけどチャリンコなら疲れるだけの道だ。苦痛。
途中、牧草を運んでいる場面に出くわした。牧草積み機(よくわからんがクレーン車のようなでかい機械)とダンプが牧草畑を並走し、牧草積み機が、牧草の塊を一つずつ拾ってダンプの荷台に積む。ダンプは荷台が牧草で満載になったら畑を出て行く。牧場に向かうのだろう。
ダンプは数台行き来している。酪農とは、何と金のかかる商売なのだろうと思った。こんなことをしながら、余った牛乳を捨てたりしているのだから、赤字になるに決まっている。酪農なんてやるもんじゃないな。

ファッキンエサヌカ線を抜けると浜頓別(はまとんべつ)町に入る。そして、その市街地を出たら、さらなる地獄の横風が待ち受けていた。向かって右から左へ吹いているので、道路から落ちそうだ。私の方には歩道がないので、反対車線側の歩道をゆっくり漕いだ。強風の中をビュン!と貫いてくる突風が怖い。歩道の右端を死守。

何とかミニ台風forサイターマンを乗り切り、トンネルに入った。車道の端を走っていると、反対車線側の歩道で、ピカピカと赤いライトが点滅しているのが見える。近づくと、乳母車の様なものを私と同じ方向へ押しながら歩いている人がいる。もしや、旅人の間で噂の「福岡からリアカー引きながら日本一周している70才のおじいさん」ではないか?

『こんにちはー!』
「こんにちは、気を付けてな~」
『はい、ありがとうございます!』

 ここで過ぎ去る私ではない。先にトンネルを抜けて、待った。

『こんにちは、福岡の方ですか?』
「いや、富山だよ」

 違った。リアカーじゃなくてフロントカーだしな。車椅子と買い物カートの合いの子の様に見える。リュックが乗っている。
 話を伺うと、この方は68才で、一昨年は鹿児島の佐多岬から宗谷岬まで縦断したので、今回はその復路ということで、宗谷岬から南下するらしい。壮健です。フルマラソンを50才から始めて既に250回完走したとのこと…。もう地球一周分の距離を走ったそうだ。
 とっくに定年の年齢だが、特殊な技術を持っているので会社に請われてまだ勤めていらっしゃるそうで、フロントカーも溶接から何から、ご自分でお作りになったとのこと。このフロントカーがまた素晴らしいもので、乳母車の様に押すだけではなく、ガチャガチャとパーツを組み換えて、キャリーバッグのように転がすこともできるし(コンパクトで、飛行機に積める)、ブレーキも付いているし、正確に真っ直ぐ進む。はぁ、私は何でも買ってばかりだから、いつかはこのお父さんの様に、自分で色々工夫出来るようにならなきゃなあ。
 30分ぐらい立ち話をした。私の自転車旅について、お父さんは「いつかは、この苦労が役に立つよ」と言って下さった。結構色々な方にそう言って頂けるのだが、その度に「そうかねえ?」と疑問に思う。だが、このお父さんの様に旅を実践している方に言われると、「じゃあ頑張ろう」という気になる。
 名刺交換と写真撮影をしてお別れした。このような出会いが、人生の糧になると確信している。旅をする意義は、出会いにこそある。

この後、ひたすら進んだが、興部町には到らなかった。結局、興部町の一つ手前の雄武町の日の出岬キャンプ場にテントを張った。綺麗な日没が見られたから、まあよしと致しましょうか。

これが伝説の

独り焼き肉野外編じゃ~!
雨の為、虹別キャンプ場に足止めであります。お陰でブログが更新出来ましたが。

今日の晩飯は、チンご飯(頂き物)、鮭二切れ(頂き物)、味付きマトン(頂き物)、味付き牛カルビ(頂き物)、納豆、もずく酢、わかめたっぷり謎汁であります。しょっぱかった。ヨーグルト食べたい。



43日目 6/26  稚内市~猿払村

前夜から、無災害王国埼玉県民としては、台風かと思ってしまうような風が吹いていた。朝になって少しは弱くなった様だが、強い。でも、この辺りでは、これくらい珍しくないんだろうな。

漁師の店のむちゃくちゃ親切なご夫妻と孫娘に見送られ、Iさんと共に出発。 Iさんは宗谷岬まで行ってから、内陸を南下し小樽からフェリーで関西へ帰る。私は時計回りの旅を続ける。今日、宗谷岬でお別れだ。

 私は、荷物を固定するネットが壊れてきたのでホームセンターへ買い物に行き、Iさんには先に宗谷岬に向かってもらった。
買い物を済まし、宗谷岬へ向かう。稚内市街から宗谷岬までは30km。逆風でないのは幸いだが、風に惑いながら民家のない海沿いを黙々と進んだ。途中、「熊出没注意」の看板があり、6月10なんにちに出没したと書いてあった…
宗谷岬手前の集落に入ると風は収まったが、集落から岬へ近づくと、また物凄い風が吹いてきた。そして北海道本島最北端に到達。待っていてくれたIさんと再会し、記念撮影。その後土産物屋に行ったが、私は何も買わなかった。何故ならば、宗谷岬は「日本最北端」ではないからだ。

Iさんと握手をしてお別れ。3泊4日を共にした人と別れた後の走行は、寂しいものがある。しかも逆風…
頑張って漕ぎ、猿払村の道の駅兼キャンプ場の事務所の脇のアスファルトの上にテントを張った。姫路から来た車中泊のおっちゃんの車の近くだ。キャンプ場のテントサイトは有料だし、風が強いし、結構テントを張っている人がいて、一人だと寂しい。

うへえ

テント泊の後片付けというやつは、何度やっても面倒臭い。
朝飯食って、寝袋畳んでエアマット畳んで、鍋洗って、はっちらかした食材や道具を集めてかばんや袋に詰めて、テント乾かして、自転車に装着。どうあがいても、最低2時間はかかる。てきぱき行動出来ない私は、3時間かかる。今朝はいつも以上にやる気がないのでもっとかかるかな…

私は虫も森の中も整理整頓も嫌いだし、金があれば自転車旅行でキャンプなんて一生やらんわ!でも一生金はない!あほんだら!

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本多
性別:
男性
職業:
素浪人
自己紹介:
旅烏になり申す。

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